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箱迫とは
”はこせこ”と読みます。
江戸時代に女性が懐中して用いた典具帖(てんぐじょう)入れ。 典具帖(てんぐじょう)とは、、もむと脱脂綿状になる和紙で、美濃紙や 俗にさくら紙といわれ、長く使われました。1帖:50枚を、1月経期間に 使ったそうです。江戸時代、成人女性はこれを箱迫(はこせこ)に入れて 身につけていました。これと箱迫びら簪(かんざし) (頭の簪ではない)、とじ帯に小さな香袋、中に鏡がセット。 月経の手当に使う紙を入れていたので、成人女性のしるしでもありました。 現在は 携帯用のアクセサリー小物入として発達。中にちり紙等を入れても良い と思います。 衿の合わせ目、懐(ふところ)に少しはみ出させて携帯します。 鏡入れ、紙挟み、枝折り、楊子入れ、守り袋などには、家庭の女性がひまひまに 手作りした物が多い。
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二重回し・とんび・インバネス・マント・コート・防寒着について〜
トンビとは、明治になって、インヴァネス・コートをヒントにし、その形が鳶に似て いるところからその名前がある様です。インヴァネス・コートとは、シャーロックホ ームズが 着ているあれで、ケープをつけた袖のない男子用コートです。インバネスをもう少し 和風に仕上げたものを「トンビ」と呼んだのです。当然のことですが、昔の日本には コートが無く、当時の憧れ、貴重品でした。 でも、和服の上に羽織ることの出来るコートはごく少ない。。。 そこで、インバネスは袖の部分がケープになっているので、楽々と重ねることができ ました。 これが明治、大正にインバネス(またはトンビ)が流行った最大の理由なのです。 形は、和洋混交の新しい姿として重用され、特に半円形のマントを和服用に改良を 加え,身の部分を袖なしに作り,マントを重ねたものが「とんび」「二重廻し」「インバネス」と呼ばれて一般の男子の防寒用のオーバーとされました。 女子や子供用には半円形のままに用いられました。 コートは外国軍人のオーバーコートを模したもので,海軍将校用の短外套や警察, 消防の防寒用に又,陸軍将校にも用いられ,一般に洋服だけでなく和服用にも用い られました。当時の人たちはインバネスやコートを自分の好みと身体とに合わせて洋 服屋で仕立てさせた様です。だからよく見れば、ひと口にインバネスといっても実にさ まざまな変化、形があるようです。 明治期のインバネスは上流階級の、地位の象徴でもあった様です商家や地主の大 旦那さんが着ていました。 コーディネートとしては、マントに和服の羽織,袴,西洋風の山高帽をかぶり靴をはき ステッキを持ったりして合わせたようです。昭和20年代にかけて、女性は茶または紺無 地の角巻(かくまき)に雪下駄とおこそ頭巾、男性は黒の羅紗地(らしゃじ)のマント形式 が防寒着の定番だったようです。 大正,昭和の第2次大戦終了頃迄,特に和服用として多く使用されたが,戦後は殆ど 和服と共にその姿を消しました。 |
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ロイド眼鏡とは、、、
1920年代、アメリカ映画の流行とともに、当時の人気喜劇俳優 ハロルド・ロイド(Harold Clayton Lloyd)が愛用していた 大型セルロイド製眼鏡。 いわゆる「ロイド眼鏡」が大流行となった。 ハロルドロイドは、チャールズチャップリン、バスターキートンと 並ぶ世界の三大喜劇王と呼ばれてまた。 彼の風貌は、灰色のスーツ、麦藁帽にセルロイド製の黒い丸い 大縁の眼鏡がトレードマーク。以後これが”ロイド眼鏡”と呼ばれるようになりました。 日本で分りやすいのは、オロナミンC小さな巨人です。の大村昆が 掛けているあれですが、、
(丸眼鏡メガネ黒縁めがねセルロイド眼鏡)
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銘仙とは、、、
大正昭和の人々が最も日常的に着ていた絹織物が銘仙。 銘仙の持つ大柄で、ぱっとした色合いが人々の目を釘付けにしたのだった。 他に比べて安価な事、太くて粗い糸を使用している為丈夫であったことから 人気があった。さらに商品が多様であったため、気に入った生地の風合いや柄が 見つけやすいということもあった。昭和初期の銘仙のデザインはモダンテイスト。 海外のテキスタイルデザインがとり入られている。なかにはインテリア用のものも あった為、それを見につけたモダンガールらは、まるで敷物やカーテンが歩いて いるようだと揶揄された。銘仙は、大正末期から昭和初期にかけて10年間で、 一億反以上が 生産販売された。当時の新聞には、「銘仙を着なくば時代の人ではない」という表現 すらみられた。 モダンガールの美は、着物姿に断髪のような、和に洋の要素が入ったものであると 岸田劉星もいっている。 大正14年5月に実施された、銀座の風俗調査で和装か洋装かの調査に対し男性の洋装・ 和装の比は67%と33%であったが、女性の比は1%と99%と意外な結果が出て、女性の51%が銘仙の着物や羽織であった。銘仙はおしゃれ着として着られていた。この頃(大正時)は洋装といっても憧れでしかなく洋服は日常的生活には向いていない等の理由で洋装になるまでは、まだまだ先の事、でもこういった和装からの洋の取り入れ方で洋の美が意識的に女性の中へ浸透していったのであろう。 イメージガールは松竹専属の大スター”水谷八重子”(写真一番下)水谷八重子のポスターと言えば、伊勢崎銘仙を指すほどだったという。
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帽子について
日本の文化では布などでできた帽子は、古くに平安時代から烏帽子(えぼし)などを着用していたそうです。 洋風帽子が伝わったのは、今から約400年前に織田信長の時代で、キリシタンの宣教師がかぶってきたのが切欠、本格的に帽子がかぶられるようになったのは、明治時代になってからで、 明治初年、断髪令が施行された当時、ほとんどの帽子は輸入品であり、いわゆる国産ものが登場したのは、明治も11年以降で、それも生産としてはほんのわずかであった。商売として盛んになったのは明治27、8年ごろで、このころから著しい発達をみた。 というのは、戦争の勝報ごとに提灯行列があり、またすべてのお祝いを盛んにするというわけで学校生徒は皆学帽をかぶり、また帽子をかぶらなければ提灯行列に参加できないということになり、一般に使用することになったわけである。
明治30年頃からは紳士の間で、「山高帽」が大流行し、そして明治45年頃には「カンカン帽」を中心に誰もが「帽子」をかぶるようになり、一番の活況時代を迎えるようになりました。 大正〜昭和にかけては、多くの西洋文化が日本に押し寄せて来ました。その中の”紳士は帽子を着用する”という文化は瞬く間に日本中に広がり、外出の際に帽子をかぶるというのが当たり前で最盛期には日本男性の95%が帽子をかぶるようになりました。
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カンカン帽とは
カンカン帽子は大正7年から昭和7年ごろは、タウン・ハットとして流行し、洋服、和服を問わずにかぶられました。 ちょっと前のお父さん達は、夏の陽射しが照りだすと帽子はカンカン帽! 英語では、ストローハット(麦藁帽子総称)とも呼びます。何故”カンカン帽”なる名前が付いたのかと申しますと? 糊とプレスで堅く作ってあり、天上を叩くとカンカンと音がするためだそうです。麦稈真田ばっかん-さなだ (麦わらを漂白して平たくつぶし、真田紐(ひも)のようにして編んだもの)を使用して作った紳士用の夏帽子です。 トップの部分が平らな帽子の事をキャノチエと言います。カンカン帽もこの一種。 ココ・シャネルが愛用した帽子の形として有名。 |
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山高帽とは
やまたか-ぼうし 5 【山高帽子】 男子の礼装用帽子の一。 またの名をダービーハットと呼ぶ。 主に男性がかぶる山部が丸く、つばの狭いかたいフェルト帽で、単にダービーともいう。 この語はアメリカで多く使われ、イギリスではボーラーという。ダービーとは元来、ロンドン郊外 のイプソン・ダウンズで毎年5月の最後の水曜日か、6月最初の水曜日に開かれる四歳馬 のこと。スタンリーエドワードによって始められ、彼が黒の飾りリボンを巻いた灰色の山高帽で あらわれたので帽子の呼称となった。ダービー競馬は、以来、着飾った紳士淑女のファッションを競う場としても知られている。 日本に山高帽が入ったのは慶応二年頃、一部の名士によって着用されたのが初めてである 明治五年、旧礼服を廃し、洋式がとり入れられ、明治6年1月13日、絵図姿入りにて大礼服制の改正を公布されてから、疾風の如く山高帽子が大流行した。 頭髪がほとんどザンギリになった明治十六年、白堊の鹿鳴館が完成し、舞踏会で知られた鹿鳴館時代をつくつたのである。この風潮が下に伝わって町人も洋服を着るようになり、舶来物、ことにパリ風の洋品が多く輸入されるにいたった。 日本がイギリスの上客であったかがうかがえると同時に、山高帽子流行の盛んなことも、、、 当時の絵姿に注意書として、「冠を脱せざるを以て礼となし、帽子は脱するを以て礼と定むべし」とていねいに脱帽姿まで書かれている。これより二十年の間、尨大なる山高帽子の輸入を見る。 明治維新後、役人は紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)に山高帽をかぶり、革靴をはくのが流行、 村長や校長、村の名士がかぶりました。
チャーリー・チャップリン、エリック・サティ、ピンキーとキラーズ、時計仕掛けのオレンジ、
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鳥打帽とは
明治20年頃から商人が「鳥打帽」をかぶるようになり、 「鳥打帽」は商人の象徴となりました
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搔い巻きとは、(かいまき)夜着(よぎ)
かいまきとは、夜着とも言い、寝る時に掛ける着物のような形で 大形の物に厚く綿を入れた防寒寝具です。関西では、夜着(よぎ)と呼ばれるみたいです。 使い方は、着物の背中にあたる部分を上に掛け、掛ふとんとして、掛るというより着る感じ で裏表逆に使います。 綿入れ丹前と同様に肩を 包み込み、冷気が入り込むのを防ぐ作用がありますので本が読めます!寝相が悪い方などに有効です。現在はすっかり見かけなくなった様です。 昔々庶民の掛けふとんは当初、昼に着ていた物をかけていたそうで 平安末から鎌倉時代になると、上流貴族用に掻巻(かいまき)と言われる衿や袖のついた寝 具が出来てきました。 室町時代になるとこれは御衣(おんぞ)と名前が変わり、さらに近世には夜着や掛蒲団となり ます。 ちょっと前までは、かいまきは、関東から東北にかけて、嫁入り道具でもあり、大夜着・中夜 着・小夜着(今のかいまき)がありました。 必ず母親(祖母)が寒くなる前に一人に1枚丹誠込めて作ったもの。 作り方は着物を縫う要領で表裏同じ様に縫製し裾がつながっていて 他は綿を入れながら綿も一緒に縫い込むように、表裏を合わ せて作っていました。それはまるで着物を膨らました様です。
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